読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ママ友ゼロ人できるかな

ママ友との馴れ合いに疲れた時に、全国で56人くらいの読者に向けて書いてます。「ママ」で括られたもろもろ(ママ友とかママブログとか)をゼロに帰するための悪あがきブログ。

【おしらせ】リモートワークに対するいささかの疑念【連載更新報告】

リモートワーク・テレワーク

「リモートワーク」って最近よく聞くけどアレってなんですかねー?

離島とか田舎とかで素敵なマイライフを営みながら専門的な職務をこなす人々とかね。ありゃおとぎ話かなにかですか?

f:id:kurataikutu:20160829151911j:plain

 

リモートワークみたいなのを本当に欲してる人は、そんなアーバンライフを楽しめる人よりむしろ、介護とか育児とか自分の療養とかで必死こいて生きてて、自宅にいながら働きたいんだがどーにかならんかね?と逼迫してる人々ではないかと想像します。そういう人に早く広がらないものかなあ。
 
ということについて、ハードではなくあくまでもソフトに今回は書きました。 リズムーン連載の更新日です。
 
前回わざわざ見に行ってくれた方、またブクマつけてくれたパパンダ(id:papandaikuji)さん、どうもありがとうございました。正直言うと、恥ずかしすぎてつい先日までページまで見に行けてませんでした。
 
こちらのブログと違って、真面目ぶって書いているので、優等生ぶりっこが目に余って恥ずかしくて仕方がありません。いつも自分が楽しみに読んでるサイトなので、なおのこと恥ずかしい。もう穴があったら入りたかったぐらい。今回のもそうだからしばらく見に行けないかもしれません。もう少しユーモアに転化させて書けたらいいのですが。。。以後精進します。
 
そんなわけで、本編ではうまく書けなかった雑感について、ちょっと「リモートワーク」からは脱線するのでこちらでつらつらとメモ程度に書いてみます。
 

「新しい働き方」叩きへの違和感と疑念

 いつも思うのですが、「新しい働き方」の新提案がなされる時はいつも夢物語のようなマユツバなイメージが先走りますよね。そのあと追って始まるネガティブキャンペーンももはやバーターのような存在。
 
ノマドワーカーが流行った時「すごい。すごい。安藤さんすごーーい*1!」とか私もすぐに感化されて情熱大陸を見たものです。しかし、じきに「誰でもできるわけではない」とか「不安定」とか「ただのフリーランスだ」とか騒がれて夢がしぼみましたね。
 
在宅ワークがもてはやされた時は、主婦でも誰でも毎月20万円(リアルな数字だね)稼げるとか、スケジューリングが自由、とかいうステマブログがネットで横行していて、いちいちクリックしてみては心踊らされていました。でもその後の「稼げない」とか「情報詐欺」とかバッシングもひどかった。
 
リモートワークも同様で、今はいろんなところで働ける自由な働き方、という夢物語が先行していますが、「評価されにくい」「オーバーワーク」「大企業の特権」とか既にチョロチョロ言われ始めてきています。
 
でもこれらのネガティブなイメージは、全部「生産単価の高い労働こそ価値がある」という原理に基づいていると思うのです。
 
その根底にあるのが資本主義経済の「経済的価値基準」なので、すごく違和感を感じてしまいます。(あーいきなり難しくなったけどね)資本主義社会の全てを貨幣価値に置き換える「幸福論」が崩壊したからこそ、今は「新しい働き方」が注目されてるはずなのに、それをまた貨幣価値で評価するとは一体なにごとでしょうか。
 

労働価値の二重構造(こっからちょっとムズイ)

経済社会の中で幸福論を追求していくと、最終的には短い時間でより高い貨幣価値を生み出せるいわゆる「生産性の高い」仕事が求められ、労働力にも「量より質」が求められるようになると思います。でも、この「量より質」は選ばれし優秀な人間にだけできる所業であり、実は私らのような一般ピーポーには簡単にできません。スキルや経済的資源を持つ者・持たざる者が存在し、それが元で「格差社会」とか騒がれています。この格差を是正するためには経済的な補填が必要になります。
 
一方、コミュニティ社会の中では「愛」とか「個性」とか「つながり」「信頼性」「共感性」「影響力」「賞賛」「知名度」などが幸福の象徴として追求されてきました。これらの価値基準は数値に換算出来ないものが多く、今までは芸術など一部の分野でしか注視されてこなかった人的資源の一端です。その、今までは目に見えなかった価値基準が、近年数値化されたのがインターネットのSNSだと思ってください。この格差が「リア充/非リア充」「コミュ力高い/コミュ障」などと騒がれるようになって久しいですが、実はまだあまり重要視されていません。
 
労働の価値基準においても、この「経済的」格差と「人的」格差問題があると思うのですが、それがごっちゃ混ぜに騒がれてしまうために、問題が複雑化しがちです。特にネット上では論者がどの価値に重きをおくかで結論が極端に食い違うから、不毛な議論に陥りやすいと思います。
 
例えば、有名大学を出て就職してというレール(←なんかちょっと流行ってたらしい?)から外れる人生とか外れない人生とかそもそもそんなレールなんてもう破綻してるどうのこうのなど。その働き方を労働価値から考えた時に、「経済的に」破綻しそうなのか「人的に」破綻しそうなのかは別々に語られた方がより議論しやすいですね。
 

新しい働き方を語る人はドリーマーになるべきじゃない

 さて、「ノマドワーク」や「在宅ワーク」をポジティブイメージで普及させた方々は、経済社会でもコミュニティ社会でもすでに高い労働価値を得られている人間ではなかったかと察します。
 
彼らは「共感性」を得る能力も高いために、「経済的」や「コミュ力」格差問題を超えて賛同を得られるようなドリーム的表現にうまいこと落とし込んでこれを広めたのでしょう(あるいは回りのメディアがそうさせたのでしょう)。しかし、すぐにあやかしに気づいた「経済的」「コミュ力」底辺の人々が騒ぎ始めました。
 
「いやあんたはもともと稼ぎあるスキル持ってるからでしょ」「そもそもあんまり稼げてないでしょ」「高学歴でしょ」「カリスマ性あるからでしょ」「コネクションでしょ」「やっぱり情報詐欺でしょ」などなど。
 
彼らが発信すべきだったところは「労働価値の在り方の再構築」であり、もっと「人的」な価値を見ようよという話だったはずです。それを夢物語にしていっしょくたに語ったから埃がでやすくなってしまった。
根本の「経済的」格差と「人的」格差があることをシカトして語ったので、その両方から叩かれることになったのではないかと。

働き方を語るのに必要な4つの視点

 だから「新しい働き方」を論じる時は、4つの視点から語られるのが重要であると考えました。
  1. もともと経済的スキルのある人がより自由なリア充生活を求める働き方
  2. もともと経済的スキルのない人がより自由なリア充生活を求める働き方
  3. もともと経済的スキルはあるがコミュ不足な人が、より自由で楽になれる働き方
  4. もともと経済的スキルもコミュ力もない人が、より自由で楽になれる働き方
この4つを同じ土俵で語ったらダメでしょう。殊に3と4についてはより慎重に論じる必要性を強く感じています。(あと1より2が、3より4を語る方が叩かれやすい・・・)
 
そして今は1と2中心にしか語れないことにもジレンマを感じています。本来は3と4こそ語られるべきだとは思いますが、まだ時代がそこまで追いついていないため、「ただの絵空事」に終わる可能性が高い。では、はたして1と2の方で普及していくことで、3と4までたどり着くことができるのか?
 
とかそういう正論とか正義みたいなことを書くのが、あんまりタイクツさんはうまくないのです。そんなモヤモヤを抱えながら今回は書きました。
 
 
 なーんて、まるでB面営業みたいになってしまったのですが、皆さんのご意見を拝聴いただけたら嬉しいです。。。今回はちょっとネタにもならない話を勢いでしてしまってこっちのエントリーのが恥ずかしいかもしれない。

*1:安藤美冬さん「ノマド」という言葉を流行らせた方です。

広告を非表示にする