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ママ友ゼロ人できるかな

ママ友との馴れ合いに疲れた時に、全国で56人くらいの読者に向けて書いてます。「ママ」で括られたもろもろ(ママ友とかママブログとか)をゼロに帰するための悪あがきブログ。

検証編・もし社会からPTAが消えたなら→文科省が困る

くたばれPTA

大人の自由研究と題して取り組んできた「もし社会からPTAが消えたなら」の検証編です。 前編は激おも(重)ゴリゴリ丸です。かなりゴリゴリなので、読める時に無理のない範囲でお読みください。最初から軽めを所望される方は、後編だけお読みください。

PTAの構造図(想像)

お題「自由研究」

 ☆目次☆

はじめに~論点~

この研究は、以前書いた仮説編を元に構成しています。

mamazero.hatenablog.com

 

PTAについて論点は色々とあるものの、「なんとなくのメリット」を明らかにしてみたいな、という視点にしぼったのには理由があります。

PTA運営で今やたらと問題になっているのは、最近の子育て世代が忙しすぎることです。共働き、介護に育児、教育に地域活動、色々とタスクが山積していると人間は、「なんとなくのメリット」のために時間を割けません。「なんとなくのメリット」はイコール徒労に終わるかもしれない「なんとなくのデメリット」であり、そしてそれは通常は「リスク」と判断され排除される傾向にあります。

 

例えば忙しい社会人はいきなり「役に立つかもしれない資格」や「利益がたつかわからないブログアフィリエイト」のために時間を割けませんよね?やれても、「人に誘われて」とか「自己啓発本の影響」とか「ブログ飯を読んで」とか外的刺激を受けてようやく着手でき、それでも成果が見えないとすぐに飽きたり嫌になったり「はてブ欲しい」と外的刺激を欲しがったり「なんのためやってんの?」なんて不安になったりして長続きしません。PTAも同じことが言えます。

自発的に何かに着手して、自分にとっての明確なメリットを獲得できる人なんて、ほんの一握りしかいないのです。だからこそPTAは「公平性」とか「一人一役」などの外的圧力(義務化)を呪怨のように唱え続けてきたのでしょう。ただ、最近の親は忙しすぎてその同調圧力がものすごい負担になってきています。

だからこそ「なんとなくのメリット」を明示してみたいと思い、この研究テーマを選びました。ただ、ひとは、手にしている富については一様にして鈍感なところがあります。そこで「ない世界」の方を考えてみることにしました。

 

ない世界

ない世界

 

PTA解体からのパラダイムシフト〜仮説の検証〜

パラダイムシフトって何よ!?というお怒りはわかります。(偉そうな外来語並べやがってww)がちょっと聞いてよ、今回の研究を進める上で、「ない世界」を考えた時に二つの立ち位置があるのに気づいたんですよね。それは「この社会からもしPTAがなくなったら」という未来のお話と、「この社会からもとからPTAがなかったら今どうなってる?」という過去のお話です。

前者をパラダイムシフトといいます。後者をパラレルワールドと呼びます。

偶然どちらも「パラ」だったので(パラキスならぬ)前者を「パラシフ」後者を「パラルド」とします。私が前回立てた仮説は「パラシフ」での想定が多かったので、まずはそこを検証していきます。「パラルド」については後編にて構想することにします。

 

 

後編はこちらから 

mamazero.hatenablog.com

 

 

クレヨンしんちゃんの「ぞうさん」はもう一度見られるようにはならない

PTAの連合団体である日PやP連が行う「子どもに見せたくない番組」アンケートで常に上位につけていたクレヨンしんちゃん

PTAによって放映中止を求める訴えを放送局にされていたこともありましたが、ことクレしんに関しては、2012年以降の当該アンケート中止以降*1も「ケツだけ星人」の自粛などの表現制限が見受けられ、みさえのグリグリやげんこつも未だに復活していないのです。

なので一概にPTAのせいではないし、むしろ世界的に見ても、経済発展後必ず起こる表現規制の方を「それ何?」って見直した方が良さそうです。

だからPTAがなくなっても「ぞうさん」はもう一生、地上波では見られないかもしれないし、そのうちBSとか有線放送で流している一部の再放送も危ぶまれるかもしれません。

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えらい人たちの利権がらみはあんまない、でも文科省は焦る

現在ではえらい人たちの利権がらみはあまり存在しないようでした。大昔には*2P連が接待宴会費(酒代)や視察代(繁華街巡り)を経費に計上してたとか、日Pが企業から不正に推薦金を着服して特定商品を推奨していたとか使途不明金があったとか、幼稚園のPTA会合で特定政党の後援会入会を求められた*3とか、まあ利権乱用はありました。今も、田舎に行くと地域の政治や金と権力者との間にPTAが挟まっている事例などはありそうです。

しかし、よく市議会とか県議会の議員に「元〇〇小PTA会長、〇〇区P連会長兼任」とかプロフィールに載せてる人いますね、あれ、ホント全然意味ないらしいんですよ。そもそもPTAは特定の支持政党などを持ってはいけないことになっています*4ので、もしPTAで政党支持を求められても、「PTAの基本精神では支持政党は持てないはずです」とハッキリ断っていいです。

それより、金がらみの問題はもっと他にあって、それはPTAが学校運営費の援助をしている点です。plutanさんからもブコメでご指摘がありました。

 

大人の自由研究・もし社会からPTAが消えたなら(仮説編) - ママ友0人できるかな

ママ友がいない人ほどPTAはありがたい存在ではある。情報源として。それと高校の教室は基本エアコンを学校の予算で設置しないし運用費も出さないので(PTAから予算を出しているところが大半)子供は地獄を見ます。

2016/08/10 17:55

b.hatena.ne.jp

 

特に高校ではPTAが学校の設備費まで援助している状態がいまだにまかりとおっています。もともと公立高校はPTAの増設運動にて新設されてきた過去*5があるので、運営体制上PTAに資金援助されてきた歴史的背景が色濃く残っています。*6(私立だったらごめんなさい、通常はPTA会費としてではなく設備維持費として徴収されると思います…)

PTAはむしろこういう資金面での援助は廃止運動をしてきた歴史があり*7小中の公立校(義務教育)では設備費等の経費の援助は法律的にも禁止されています。*8(高校は義務教育ではないからこそ残っているとも考えられます)

 

ですが今もなお「学校協力費」として残っているのが現状のようですので(下記参照)、もし今ある小中高のPTAが一挙になくなったら、本当の義務教育無償化とはなんなのか?都立校無償化はなんだったのか?というパラシフがおこり、文科省や地方行政の予算が膨れ上がることになることでしょう。(その前に公費申請が通らない可能性もあります)

 

「義務教育が無償でない」という巨大すぎる謎 | PTAのナゾ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

PTAの広報は保護者が全員見に来ているような運動会の報告ではなく集められたPTA会費がどのように使われているか広報すべき

2016/08/17 23:24

 

なお、冒頭の「ママ友いない人の情報源」については次にて言及します。

クソみたいな責務を乗り越えた「つながり」はクソみたいな責務を乗り越えなくてもできるようになる

PTAを解体や再編やそれに変わる保護者会を新設した学校の事例はたくさんありました。が、ほとんどの学校において、そういったつながりはむしろ強くなっているように感じます。

ひとつには、PTA再編というクソみたいな責務を乗り越えることで保護者間の「つながり」や「自発的参加」が強くなっているということ。

そしてふたつ目には、PTAを解体する学校でも、やっぱりこれに変わる「つながり」装置を再編しており、その部分においてはPTAの功績を評価している学校がほとんどだということだということです。

そしてママ友いない人とかはplutanさんのおっしゃる通り、自活のママネットワークに自信がないので既成された「つながり」を頼りたい(笑)。だからPTAがなくなったら結構困るし、それに相応する「つながり」再編に尽力しようと努めると思います。

だからPTAがなくなるとそのうち「クソみたいな責務」を乗り越えなくても「つながり」ができる、真に「協力」だけが目的の保護者団体ができると思います。

本当は、ママ達の多くは何かしらにお膳立てをしてもらわないとママ友ネットワークなんて作れないヘタレなんです(ただの実感として)。実質PTAの存在意義が薄れて以降のPTAの歴史は、この「つながり力」から継続してきたと言っても過言ではないと私は思っています(ただの無根拠!)

なんかの関係性や(以下略)行事の再編にものすごーい労力がいる

こちらについてはhilda_iさんにもブコメでご指摘いただきました。

大人の自由研究・もし社会からPTAが消えたなら(仮説編) - ママ友0人できるかな

うちの子の幼稚園のPTAが無くなったら運動会と縁日は出来なくなるし、入卒園式や遠足や学芸会時の駐車誘導も無くなるわ。園や自治体や県の教育方針に意見も出来なくなるし、無ければ無いで不便。

2016/08/11 19:38

b.hatena.ne.jp


学校運営面でPTAが担っている部分が多大にあり、それをいきなり全部なしにするとなると、色んな行事が成り立たなくなって、再編するにも多大な労力が要ります。ただし、PTAが学校運営のどれほどを担っているかは実は学校によって実状がかなり異なるので、再編負担は大なり小なり異なるとは思います(PTAは皆各学校ごとに独立した団体だからです)。でもいずれにせよ

学校というのは保護者の協力なくしてまともに運営できないのです。

ちょっと、大事なことだからもう一回言います。

学校というのは保護者の協力を前提に運営されています。

だからPTAがなくなると、学校運営はいかにあるべきか、という根底からひっくり返さなくてはならなくなり大変です。まさにパラシフです。

すでに解体された学校ではその都度募集やその都度集金を行ってイベント運営されたりしています。保護者の協力が得られない学校では今後、一般ボランティアの公募やイベント運営の外部派遣が当たり前になるかもしれませんね。(これは例えば田舎の伝統的な祭り運営とかですでに起きています)

 

ただ、ブコメ後半の「園や自治体や県の教育方針に意見も出来なくなるし、無ければ無いで不便。」という点については一概にはそうは言えないことを知りました。現状では、学校や教育委員会文科省にの言いなりになっている公立校のPTAは多い、という現状があるようです。

 

例えば私自身の入っている保育園の保護者会(公立・私立の二カ所)も、とても風通しが良く、園やその上の福祉法人やら自治体やらに自由に陳情書を出せる術を持っています。しかし、小学校は違います。PTAを通して意見書を提出する場合、特に上部(実際には上下関係はない)組織に伝えたければそれほどに関門が多くなります。

学年委員のチェック、常任委員会チェック(ここで最悪は校長による検閲)、区P連市小P連への提案を通して(賛同は得られなくても別にいいが)初めて行政に意見できます。そこまで持っていくのには相応の説得力(署名など)も必要でしょうし、県の教育委員会まで行くにはさらにこの上に県P連まで意見を聞かなくてはなりません。この風通しの悪さときたら。。。もはやPTAを通さないで個人で署名活動して陳情書を持って行った方がラクかもしれません。これについては次でより詳しく言及します。

 

www.asahi.com

意識高い系保護者にとって(以下略)教育は他人事のようにならない

つまり、 そもそもがPTAはあんまり学校教育に口だしできていないという実状があるんです。*9一部の意識高い系P連やPTAが教科書問題やらゆとり教育やらに陳情書出してるのは聞いたことありますが、表立っていないところでは実は内々に気難しい校長に掌握されていたり、教育委員会のご機嫌とりに走るP連に反対されて、障壁が高すぎて出せていない可能性があります。

さらに、P連役員もPTA役員ももともと義務でやらされてますので、そもそもの業務の負担が重すぎて、教育委員会や校長に対抗するよりは従順な方が無難にこなせるとわかっていなしてくることもあります。*10特に役員は最も身近な校長先生には逆らいにくいようです。そのために普段のPTA活動にも様々な検閲や圧力がかかることすらあります。*11(役員がことなかれ主義から慣例撤廃案や意見書を捻り潰してくることさえある)

だからもし、この現状でPTAがなくなったとしても、もともと意識高い系のPTAやP連のある地域では保護者も意識が高いので自発的に対策委員会などを組織化できるでしょうし、逆にもともと会員の発言権のなかった地域ではPTAがなくなることでむしろ自由に意見交換できる場を再編できるように思われます。

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意識低い系保護者にとって(以下略)教育は他人事のようになる

そして、問題なのはやっぱり意識低い系保護者です。

私だって今こんなところでこんなにPTAについて吠えていてまるで意識高い系のようですが、内情は意識低い系なのです。

それがわかったのが、近年のPTA再編論では第一人者である川端裕人さんがPTA会員のタイプ別分析でした。以下抜粋*12

 

ヒト会員は、PTAの意義を理解し、活動に参加する。

サル会員は、意義を理解せず、活動に参加しなかったり、批判したりする。

キジ会員は、意義を理解しているが、何らかの事情で活動に参加できない。

イヌ会員は、意義を理解しないにもかかわらず、同調圧力ゆえか活動に参加する。

 

PTAに一番多いのは、イヌ会員で、そう考えるととても困ったことだと川端さんは指摘されています。

このイヌ会員というのが私のような、つまり意識低い系です。(耳が痛い)ただの同調圧力から、前例踏襲の低燃費でやり過ごそうとする人のこと。(耳が痛い)こういう人こそがPTA不活化ウイルスである、と。(そこまでは言ってないけれども)ではこういう人はPTAがなくなると一体どうなるでしょうか?

 

教育の現場に参加する「自発性を義務化する」PTAという「同調圧力」がなくなることで、教育現場への興味が薄れていくことは明白でしょう。(もー耳痛いってば)しまいには運動会運営代行とか、懇談会代行とか変なサービス業者が学校に出入するようになるかもしれませんよ?

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※上記のスキームは以下のブログでのやり取りで発展させた「あくまでざっくりとしたもの」とのことです。興味のある方は読んでみてください。(引用部分は本にしか掲載されていません)

minnanopta.seesaa.net

 

ひとまず中間報告〜PTAあってもなくてもどっちだっていいけど文科省は焦る

とりあえず色々懸案してみた結果、PTAがいきなりなくなっても、保護者達はそれに変わる組織をちゃんと作っていくので大丈夫なのではないか?と思いました。保護者の底力は意外にすごい。PTAはなくなっても学校や子どものための活動はなかなか衰退しないと思われます。

で、PTAがいきなりなくなって切実に困るのは、これをいいように使ってきた文科省教育委員会ではないかな?と思いました。予算は膨らむは、外部の人間の学校への介入を余儀なくされるは、意識高い系父母に訴えられるはで色々な再編が大変なことになりそうです。あと困るのは、何も関心を示さないままにメリットを享受できなくなっていく意識低い系ですかね。

これについては、以下に雑感をちょっと走り書きしておきます。(読みにくいですよ)

 

この研究をやってみて、私はとにかくもうとっても疲れはててしまたんですよ、はい。意識高い系は「意識低い系め!」って責めるけれども、子どもに関わること全てに全力で高い意識向けて取り組むって相当大変。もともとポテンシャルがそれほどない人だってたくさんいるんです。そうでなくても、子育てに対してやれマッチョにやれ自己責任だと世間はうるさいんですよ。でもガンバらない部分を作る自由もあると思うんです。(川端さんはPTAに「逃げ道の用意も必要」と提案されています。((「PTA再活用論」P193)))

ではガンバらない人はどうするか?例えばこういう、誰かが努力してまとめてくれた記事とかをネットで読んで、意識高めてたら色々省略できると思うんですよ、今の時代。そう思って、とにかく意識の高い「意識低い系」に向けて一生懸命書きました。もししっかり読んでくれている人いたら本当にありがとうございます。後編もお見逃しなく。

 

索引

各書評も追々やりたいなあと思う

PTAとは何か (1983年) (PTA入門シリーズ〈総論編〉)

PTAとは何か (1983年) (PTA入門シリーズ〈総論編〉)

 

 ※↑この1997年第11刷発行版

PTAの掟―お母さんたちのコワ~イ話 (カッパ・ブックス)

PTAの掟―お母さんたちのコワ~イ話 (カッパ・ブックス)

 

 ↑この本だけクソだったので絶対買わないで!!ただのママ友トラブル本です。あんまりひどい内容なんで、今後ママ友系エントリーのネタに使いたいと思います。

ここからはホームページなので買わなくても見られます!

dual.nikkei.co.jp

cybozushiki.cybozu.co.jp

nippon-pta.or.jp

minnanopta.seesaa.net

*1:クレヨンしんちゃんwikipediaより

*2:「PTAとは何か総論編」P176より

*3:ちょっとどこで読んだか忘れちゃった

*4:どっかに書いてあったよ

*5:PTAとは何か総論編」P21より

*6:「PTAとは何か総論編」P66

*7:「PTAとは何か総論編」P158

*8:「PTAとは何か総論編」P167

*9:「PTA再活用論」P103校長先生とPTAはどんな関係?「PTAとは何か総論編」P151学校長と父母より

*10:「PTA再活用論」P114P連役員は人柱?

*11:「PTAやらなきゃだめですか?」P65なぜ「前例主義」がやめられないか?より

*12:「PTA再活用論」P232

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