ままゼロブログ

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「ママ友」から「お友だち」になれない人の見極め方

「ママ友」と「友だち」って分けて考えてますか?「ママ友」付き合いに疲れる原因の多くはこの、「ママ友」が友だちなのかなんなのかよくわからない、という曖昧さにあります。(ホントかよ)

「お友だち」になれない「ママ友」をしっかり見極めることで、すっぱりさっぱり割り切ったお付き合いができるというものなのです!

 

というわけで今回は、「ママ友と普通のお友だちの境界線はどこにあるのか」について解説していきます。 

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さて、この境界線問題でよく表現されるのが

「ママ友は自分のお友だちじゃない、子どものお友だちのママである」

という言い回しです。

この「自分個人の趣向でお友だちになった訳じゃないヒト」が「ママ友」という言葉の真髄であるとするならば、「お友だち」になれない「ママ友」は「自分の意向だけでも仲を深めたい人か否か」ということに尽きると思われます。

その「自分の意向=意思決定」のボーダーラインをどこにおくのか?と考えた際、おそらく前回の仮説を逆説的に捉えると、うまく解釈できるのではないでしょうか

「ママ友」から「お友だち」になれない人の見極め方

距離感の縮め方がわからない、もしくは縮めたくない人は友だちになれない

「役員で一緒だった」「近所だった」「ランチ仲間」など顔を合わせる機会が多かったため、他のママより見知った仲になったが、それ以上仲良くなる必要性にせまられなかったため「友だち」にまで発展しなかった(したくなかった)「ママ友」

例・子供の同級生父母仲間で、やたらクラスが同じになるので他より見知った仲にはなったが、住む世界が違いすぎてプライベートなイベントには誘う気になれない、など

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→自主的につるんで遊びたいと思えるかどうかが「ママ友」と「お友だち」の境界線

「価値観のちがい」という地雷に踏み込みたくない人は友だちになれない

「ママ」だから仲良くなったが、価値観が合わなすぎていまいち踏み込みたくない「ママ友」、または逆に趣味・趣向では気があうのでとてもいい「友だち」になれそうな感じだが、教育方針が違いすぎるので「ママ」同志としてはあえて距離を置いてる「ママ友」(あえてお友だちにならない人)

例・子ども同士は仲良いが、どうあがいても親同士は住む世界が違いすぎて共通の話題が見つからない。または、すごくフィーリングが合って話しやすいが、教育方針が違いすぎるので逆に対立もしやすく、そこそこ面倒だから距離を置いている、など。

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→価値観の違いを渡り合うめんどうくささを負ってまで、仲良くなりたいと思えるかどうかが「ママ友」と「お友だち」の境界線

子ども同士の関係性をムシしてつき合えない人は友だちになれない

「子ども同士の関係性」がありすぎるために、穏便につき合うためあえて踏み込まなかった「ママ友」。または逆に仲良くなったはものの子ども同士がとても仲が悪いので「子ども同士の関係性」がなさすぎるため、徐々に疎遠になってしまった。

例・親同士は仲がいいのに、「学校行事が合わない」「受験レベルが合わなすぎる」などの気遣いからいまいち踏み込めなかった。あるいは、子どもが親友同士なので親も仲良くしてきたが、先方の子どもに色々問題が多く、親同士はなるべくぶつかり合わないよう無難に距離感を保ってつきあってきた、など。

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→子ども同士の関係性を無視してまで(子どもに迷惑をかけるリスクを負ってまで)、仲良くなりたいと感じるかどうかが「ママ友」と「お友だち」の境界線

 

おわります

以上、お仲間に1人や2人くらいは思い当たる人がいるのではないでしょうか? ズバリ、その方とはこの先もずっとお友だちにはなれないでしょう!

シンプルに考えて「この人とサシ飲み(二人で酒を酌み交わせること)ができるかな?」と考えるのが一番手っ取り早いと思います。

私の場合ですが「これ以上、この人に踏み込むのめんどうくさそうだなあ」と思った時にいつも、「将来サシで飲みたいかどうか」を判断基準にしています。

あと蛇足だけど単純に見た目の格好が受け容れられずになかなか踏み込めない人っているよね。そういう人ともたぶん友だちになれないと思います。(それママ友にもなれないからね)

苦手なママ友

 

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